このやるせないもやもやを誰かに告げようか・・ [音楽]
昨日の午後からずっと心が落ち着きません。
加藤和彦さんが亡くなってしまいました、62才でした。
→「帰って来たヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」の加藤和彦さんが首つり自殺
「帰って来たヨッパライ」や「あの素晴しい愛をもう一度」などのヒット曲で知られる音楽家の加藤和彦さん(62)=東京都港区六本木=が17日、長野・軽井沢町のホテルで首をつって死亡しているのが見つかった。16日午後6時30分に死去。パソコンで打った遺書らしきメモがあり、軽井沢署は自殺とみている。加藤さんは事前に知人に自殺をほのめかしていたという。葬儀は近親者のみで営み、後日、お別れの会を開く。
→坂崎幸之助もショック「言葉にならない…」
加藤和彦さんの突然の悲報に親しい音楽仲間に大きな衝撃が走った。音楽ユニット「和幸(かずこう)」を結成していたTHE ALFEEの坂崎幸之助(55)は「言葉にならない」。1960年代後半に加藤さんとともに旋風を巻き起こした「ザ・フォーク・クルセダーズ」のオリジナルメンバーで精神科医の北山修=アーティスト名・きたやまおさむ=(63)らは、ただただ涙にくれているという。
----------------------------------------------------
ミカバンドの再結成や坂崎さんとの和幸などここ数年はまた順調に活動されてたし、
合間にはライブやテレビ出演もコンスタントにしていらしたので、
実はうつ病に苦しんでいて、
音楽的に「やりたいことがなくなった」と悩んでいたとは
まったく思いもしませんでした。
フォークルの現役時代よりずっと後に生まれた私ですが、
加藤さんの音楽を後追いながら聞いて育ってきました。
→知らない人はこれを読むがいいと思う
トノバンは音楽だけでなく、スタイル含めて
本当にあこがれの人、
あこがれるオトナでした。
インタビューでもよく言われてるけど一流品が好き
それでいていやらしくないというね。
2回ほどお仕事で一緒になり、
インタビューさせていただいたこともありますが、
気さくに接していただいたのに、なぜか緊張してしまったのを覚えています。
インディース発で話題を作り、ヒットへつなぐスタイルや
言葉の壁を越えて海外で活動する道を作ったのも、
レコーディングやライブの技術的システム的な取り組みも、
様々な音楽・カルチャーをいいとこ取りしてくるセンスも・・
今では当たり前となったことですが、
何もないところからその道を作ったのは加藤さんでした。
その加藤さんが還暦を過ぎ、道に迷って死を選んだ・・・
彼自身はもちろん、日本の音楽会にとっても大きな損失であり、喪失です。
人間はいつか死にます。
正直今年、忌野清志郎が死んだとき、
清志郎だって死んじゃうんだ・・と思いました。
でもね、せめて寿命を全うしてほしかったなぁ・・
60年も生きてきたんだから
あと少しじゃないか・・・ねぇ
合間に加藤和彦作品で好きな歌をいくつかご紹介させていただきました。
まだまだたくさんありますが・・
加藤さん、とりあえずお疲れ様でした。
加藤和彦さんが亡くなってしまいました、62才でした。
→「帰って来たヨッパライ」「あの素晴しい愛をもう一度」の加藤和彦さんが首つり自殺
「帰って来たヨッパライ」や「あの素晴しい愛をもう一度」などのヒット曲で知られる音楽家の加藤和彦さん(62)=東京都港区六本木=が17日、長野・軽井沢町のホテルで首をつって死亡しているのが見つかった。16日午後6時30分に死去。パソコンで打った遺書らしきメモがあり、軽井沢署は自殺とみている。加藤さんは事前に知人に自殺をほのめかしていたという。葬儀は近親者のみで営み、後日、お別れの会を開く。
→坂崎幸之助もショック「言葉にならない…」
加藤和彦さんの突然の悲報に親しい音楽仲間に大きな衝撃が走った。音楽ユニット「和幸(かずこう)」を結成していたTHE ALFEEの坂崎幸之助(55)は「言葉にならない」。1960年代後半に加藤さんとともに旋風を巻き起こした「ザ・フォーク・クルセダーズ」のオリジナルメンバーで精神科医の北山修=アーティスト名・きたやまおさむ=(63)らは、ただただ涙にくれているという。
----------------------------------------------------
ミカバンドの再結成や坂崎さんとの和幸などここ数年はまた順調に活動されてたし、
合間にはライブやテレビ出演もコンスタントにしていらしたので、
実はうつ病に苦しんでいて、
音楽的に「やりたいことがなくなった」と悩んでいたとは
まったく思いもしませんでした。
フォークルの現役時代よりずっと後に生まれた私ですが、
加藤さんの音楽を後追いながら聞いて育ってきました。
→知らない人はこれを読むがいいと思う
トノバンは音楽だけでなく、スタイル含めて
本当にあこがれの人、
あこがれるオトナでした。
インタビューでもよく言われてるけど一流品が好き
それでいていやらしくないというね。
2回ほどお仕事で一緒になり、
インタビューさせていただいたこともありますが、
気さくに接していただいたのに、なぜか緊張してしまったのを覚えています。
インディース発で話題を作り、ヒットへつなぐスタイルや
言葉の壁を越えて海外で活動する道を作ったのも、
レコーディングやライブの技術的システム的な取り組みも、
様々な音楽・カルチャーをいいとこ取りしてくるセンスも・・
今では当たり前となったことですが、
何もないところからその道を作ったのは加藤さんでした。
その加藤さんが還暦を過ぎ、道に迷って死を選んだ・・・
彼自身はもちろん、日本の音楽会にとっても大きな損失であり、喪失です。
人間はいつか死にます。
正直今年、忌野清志郎が死んだとき、
清志郎だって死んじゃうんだ・・と思いました。
でもね、せめて寿命を全うしてほしかったなぁ・・
60年も生きてきたんだから
あと少しじゃないか・・・ねぇ
合間に加藤和彦作品で好きな歌をいくつかご紹介させていただきました。
まだまだたくさんありますが・・
加藤さん、とりあえずお疲れ様でした。
コメント 0