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阪神淡路大震災から15年 見えるラジオからも15年 [ラジオ・テレビ]

阪神淡路大震災から15年の月日が経ちました。

当時まだ学生だった私は、あの発生の瞬間5時46分に
東京駅におりました。

ちょうど成人の日にあわせた休みがあって、
西から泊まりで遊びにきていた友人を見送るためです。

で、予定時刻になっても一向に発車する気配のない新幹線、
そしてまもなく流れる案内放送

関西地方で地震が発生し、被害状況は不明。新幹線は当面ストップ・・・

え?関西で?地震?? なんで???まさか・・・

それからラジオでテレビで流れてくる情報
そして当時からネットをしていましたので関西から入ってくる生の情報

怒涛のような数日間のはじまりでした。

いても経ってもいられず友人のもとへ駆けつけるため西宮北口駅から歩いて神戸へ向かいました。
あのときの光景忘れることはできません。

そんな1.17からはじまり、地下鉄サリン事件をはじめとするオウム騒動など
1995年という年はとにかく騒がしく、記憶に残る年です。

また転機となる出来事もいろいろありました。

その中のひとつがTOKYOFMの「見えるラジオ」の仕事です。

詳しくは過去の日記でも書いたのですが

その年から放送がはじまったFMラジオの文字放送の中で
ちょうど今のTwitterみたいなことをしていました。

全角30文字x2行=60文字のテキストでメッセージを出し、
それにたいする返信をメールやFAXで募集

で、さらにそれに応えたりしながら進めていくテキストの双方向ラジオ番組
「UP&DOWN」というのを担当させてもらってました。

普及台数もせいぜい数万台という時期で、
見ていた人はすごく限られるメディアでしたし、
放送も一年という短い期間だったのですが、

当時聞いて・・じゃない、見ていてくれた人=ミエナーたちの結束は強く、
その後ネット時代が花開いたことで細く長く繋がり続けていたようでして

先日同窓会開催のお知らせが届きました。

当時の中学生も今やお子さんをお持ちだったりして感慨深く、
せっかくなので参加させてもらうことにしました。

そういえばあの年、被災した地域のミエナーからもたくさんメッセージを貰い
また被災者へのメッセージもたくさん寄せられ、
番組でもそうしたメッセージを紹介していました。

当時実際に兵庫のミエナーに会うために尋ねていったこともありました。

今頃そうしたみんなはどうしているのだろうか・・?
ふとそんなことが気になりました。

元気なら、うれしいね。

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