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君を忘れない 日本のネット放送の先駆者 清水和彦くんを偲んで [日記]

今から丸2年前の今くらいの時間に
とてもショックな知らせが届いた。

以前一緒にラジオ番組をやっていた
歌手の清水和彦くんが事故で亡くなったというのだ。

清水くんはその当時は
HAPPYDRUGSTOREというバンドで、
その前には
The WATER OF LIFE(以下WOL)というソロユニットで
それぞれ活動していたシンガーソングライター

とてもいい歌を書くけれど、
欲がないというか、いい人過ぎたというか、
ヒットには恵まれなかったが、
その才能は誰もが認める人物だった。

私と彼が出会ったのは98年の秋
彼の事務所やレコード会社との絡みで
彼のラジオ番組を担当することになった。

最初は喋りもたどたどしく、
正直掴みづらい感じの人に思えたが、
実はもの凄いモバイル好きということがわかって、
すぐさま意気投合した。(ww

打ち込みや音楽で使うだけでなく、
VAIOのC1シリーズ2台と
ドコモの341S(当時最強と言われたモバイラーPHS)を駆使して、
出先やツアー先から時間さえあればwebの更新もしていた。

今でこそPCやブログの普及でミュージシャンが
自ら日記とか記事を書くのも珍しくなくなったが、
8,9年前にはそういう人はまだまだ珍しかった。

その技量が買われてか、
なぜか「日経モバイル」(廃刊)で連載を持つことになったほどだ。

で、なにより彼がすげーなーと思うのは
これからはネットラジオ・動画配信の時代が来ると
その頃から言い続けていたこと

まだ光はおろか、ADSLもはじまっておらず、
テレホやIDSNがやっとか?という状態だったあの時代に、
彼は所属レコード会社であるソニーの協力で、
「ギンギラTV」という名前でその実験を行っていた。

スタイルはのちの「ねとらじ」などと全く同じで、
リスナーが書き込める掲示板を見ながら
リアクションしていくという生放送

基本的には白金台のソニーにあった
スタジオからの生放送で、
Realserverを使っての動画配信

動画配信ではあるんだけど、
ナローバンドでは絵がカクカクして
見えない人がほとんどだから
実際にはラジオとして聞いている人が多かった
というなんとも妙な感じ(苦笑)

それに飽き足らない彼は
VAIO C1+PHSを使って渋谷などの路上から
路上弾き語りライブをしながらゲリラ生放送をしたり、
毎回、様々な試みを行っていた。

私もそのすこし前からネットラジオに興味を持っていて、
KBS京都というラジオ局でやっていた
声優の日高のり子さんの番組を使って、
5分のネット専用ミニ番組を番組のwebから配信するなど、
今で言うポッドキャスト的なことをやったりしていた。

それも当時としては
相当早い取り組みだったはずなんだけど・・・

彼とソニーのスタッフがやっていたことは
もっとすごい進んでいた。

最初は一回だけのつもりで
見学にいってたのが
気がつけば毎回参加ようになってしまった。

とにかく刺激を受けた。

惜しむべくは本当に早すぎたということ

のちにこのスタッフはso-netへ移り、
お台場のメディアージュの中にネットラジオ・テレビ放送の
スタジオ機能を完備したso-netカフェという
オープンスペースをつくるところまで行き着いて、
清水くんもそこで毎月のようにライブや生放送をしていたのだけど、
結局採算がとれずに撤退する形になってしまった。

当時はまだサーバーとかコストも高かったし
(感化されて、ある仕事のためにRealServer買ったけど
ソフトだけで80万とかして泣いた覚えが)

ねとらじやGyaoが出てきたり、
Youtubeが一般化した今となっては
彼らが当時目指したものが正しかったと証明されたけど、
当時は理解されなかった。

で、時は流れ・・・

そろそろ時代が追いついた?という感じだった
2004年の年賀状では
「僕を必要なときはいつでも呼んでください」
と書かれており、それに対して、
「期は熟したのでそろそろなんかやりましょう」
と返事をして、実際そんな気分になっていた。

今こそ彼の才能と技術が生かされる時だと・・

その矢先での悲しい事故の知らせ

愛用し続けたVAIO C1は奇跡的に無事で、
葬儀の際も飾られていたのだが、
遺影を見ても実感がわかなかったというか・・・

実際、今もどっかでネットラジオとか
好き勝手にやってるんじゃないかとかそんな気さえする。

でももう現実としては
彼がいなくなってから
三度目の同じ日を迎えてしまった。

音楽の面では、
素晴らしい楽曲と想い出を遺していき、
故郷・滋賀県の長浜では彼を慕う後輩ミュージシャンによって、
追悼ライブが開かれたりもしている。

でも私はあえていいたい。

彼こそは今後も発展していくであろう
日本のネットラジオ・ネット放送の先駆けであったと・・

記憶されるべき人物であると・・

もし彼が生きていてくれたら・・・
どんな楽しいことができただろう?

それをとても残念に思う。

P.S
この仕事をはじめてから11年になるけど、
その間に担当した番組のパーソナリティー二人が亡くなった。
一人が清水くん、そしてもう一人が槇 健一くん

死者は蘇らないけれど覚えている人がいることで
生き続けるのだなぁ・・とホント思う。

彼らと一瞬でも出会えた奇跡に感謝し、
彼らの遺した言葉や作品、存在を忘れないでいようと思う。


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PAKU

2004年だから、丸3年経ってしまいましたね。
そしていまでもWEBは生きています。
http://www.wol-online.com/index.php
by PAKU (2007-01-30 15:01) 

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