大阪万博40年ぶりのこんにちはと衝撃 [ウォッチ]
本日2010年3月14日はアジアではじめての万博
6400万人を動員したEXPO'70 日本万国博覧会の開会式からちょうど40年
金曜の報道ステーションでも特集をやってたそうですが、
裏番組やってたから見れなかったよ・・・orz.
で、今年は40周年を記念し、
またここ数年の万博再評価ブームを受けて、
EXPO'70パビリオンが跡地・万博記念公園にオープン!!
昨日はそのオープン記念で当時のホステス=コンパニオンの
制服を再現したファッションショーも開催されたそうです。
(水中レストランこと白井さん大活躍!!)
廃墟然して残されていた旧鉄鋼館の建物を利用し、
当時の資料や各パビリオンの残していった展示物を
展示しているこのEXPO'70パビリオン
一日2000人くらいしか入れないそうでしばらくは
行列・辛抱・忍耐も40年前を再現というおまけ付っぽいです。
→EXPO'70パビリオン公式
本当はオープン当日である昨日・今日で出向きたかったのですが、
確定申告の作業が終わらないので泣く泣く断念
万博記念公園は桜の名所でもあり、あと一週間も経てば
パビリオン前も桜色に染まるのでどうせならその頃に行こうかなーと
考えております。
それはさておき・・
一般的には万博といえばやっぱり太陽の塔を思い出す人が多いと思います。
何度も書いてますが、万博当時は生まれてなかったものの
万博に由来して名前に博の字を入れられてしまったからなのか、
太陽の塔をご神体として崇めたてまつるようになってしまった私
「べらぼーなものを作る」と言って、
丹下健三先生が設計されていた大屋根を計画変更させて、
穴を開けさせたという逸話は知ってたんですけども、
不覚にも太陽の塔がなぜ太陽の塔と名付けられたのかを最近まで知りませんでした。
案外知られてないんではないかしらね。
んで、その名前の理由ですけども
石原裕次郎のデビュー作にして、長門弘之・南田洋子夫妻結婚のきっかけとなった映画であり、
現都知事の書いた小説でもある「太陽の季節」(1956年に社会現象となったヒット作)
あれがきっかけだったそうで・・
で、太陽の季節といえば若さの勢いとむちむちグラマーの英子に対する情欲で
いきりたってしまったアレが障子を突き破るという伝説的場面があるわけですが、
→これが衝撃の「障子破り」シーンだ!
岡本太郎先生が小松左京に大屋根を突き破る塔と、
そのシーンのイメージが重なると言われて「太陽の塔」と命名したのだとか・・
まあ、内部には血管というか生命の樹が展示されてたわけだし
そう考えるとモロですな。(^^;
というわけで太陽の塔は実は案外日本人の土着的信仰に根付いているというか、
ご神体として崇め立てるにふさわしい名前の由来と中身を持った存在だったことを
40周年のタイミングで学んだのでありました。
ありがたやありがたやー
2010-03-14 09:56
nice!(1)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0