1987 to 2007 [日記]
当たり前だけど今から20年前は1987年
バブルに向けてまっしぐら、
昭和の終わりへカウントダウン
当時私は人生で最も恥ずかしい一年
中学2年生
しかし今にしてみれば、
昔話として語れるような宝もんに出会えた年だったんだなぁ・・と思う。
特にちょうど20年前の昨日は、
今も日本の音楽史にその名を刻むBOOWYのラストアルバム
「PSYCHOPATH」が発売された日
当時はレコードからCDへとメディアが移行している時期で、
私はまだCDプレーヤーを持っておらず、
(当時やっと5万円を切るかという時代だった。)
このアルバムはまだLPで買った。
もっともこの頃すでにLPとCDの売り上げが逆転するという時期だったし、
私もこの直後にやっと念願のCDプレーヤーを手に入れ、
これがLPで買った最後のアルバムとなった。
(もっともそれ以降もアナログは買っているが、リアルタイムでという意味では)
BOOWYはそれ以前からも同級生達に知られてはいたが、
このアルバムとそれに先駆けたシングル「マリオネット」の大ヒットにより、
完全に「流行もんの音楽」となり、
その研ぎ澄まされた詞の世界と迫力あるサウンドは
その後、同級生達を瞬く間に虜にした。
「PSYCHOPATH」も何度カセットへコピーしたかわからない程で、
相当に磨り減った状態となって、
今も手元に残っている。
そしてそんなBOOWYが開いた「明日への扉」と入れ替わりに
終焉を迎えたのが1987年9月20日
代々木第一体育館で解散コンサートを開いたおニャン子クラブである。
私は幸運にもBOOWYの解散宣言が出された渋谷公会堂と、
おニャン子の解散コンサート両方を見ることができた。
両者を並べて語ることなんて、
ファンの人には怒られてしまいそうだが、
BOOWYは新たな時代の表現者として、
おニャン子はバブル前夜祭ともいうべき、お祭りとして
それぞれ確実に自分にキョーレツな記憶を残しているし、
それは確実に今の仕事にも影響を与えている。
そして今、アーティストではないけれど、
送り手側になることができた。
自分の仕事は果たして誰かに感動や、
インパクトを与えることができているだろうか?
ちょっと気恥ずかしくなってくるが、
20年経っても誰かに覚えていてもらえたり、
リスペクトしてもらえるようなものを生み出すべく
頑張っていきたいと思う。
コメント 0